#5 22年前の被災した記憶
防災の日ということで。
防災というか、被災したあの時の事を少しだけ書き留めておきたいなと思って書いてます。
1995年1月17日、阪神淡路大震災。
私は2歳。
残っている記憶はほとんどなくて、
ガラスの割れた窓から外に出してもらったこと、
そのあとに車の中にいたこと、だけ。
私の記憶の中には、可愛がってくれた祖父の姿はない。
写真が残っているだけ。
それは悲しい事だけど、きっと空の上から見守ってくれているのだと思う。
仏壇の前に座って、近況報告をする。色んな土地に行ったらお土産を買ってきてお供えする。
あの時から随分大きくなったけど、いつまでも可愛い孫であり続けたい。
世の中には災害で何かを失った人が多くいると思う。
それはつらい記憶であり続けるだろう。時間が過ぎても、街が整備されても、人々の記憶から薄れていっても。
そういう人がいる事を忘れてほしくない。
なんでこんな事を書くかというと、そう感じた出来事があったからです。
大学の時。環境系の一般教養の授業で、災害に関して話が出た時があって。
阪神淡路大震災が起こった時の写真、映像を見ました。正直見たくはないんですが。記憶がないとはいえ、色々思い出すし。
その後、先生が言ったのが
「昔のことだし、皆さんには関係ないですけどね」
みたいな類のこと。
…は?????
もう何年も前の記憶なので定かではないけど、「関係ない」と言ったのは覚えています。
ほんとにこの先生、教授か何だったか忘れたけど、勉強は出来るのかもしれないけど、人間として思いやりのない人だと思いました。
被災地の辺りに住んでいる学生が通っていて、その授業に出ている可能性は十分あるし、
年齢から考えても、被災した人がいる事くらい容易に想像がつくでしょう。
それをなぜ、皆さんには関係ない、なんて言えたんだろう。
私のような立場の人がいることに、なぜ少しでも思い及ばなかったのか。
その当時、腹が立ちすぎてその後の授業内容は何も聞いてなかったし、ずっと先生を睨みつけてました。
出て行ってしまおうかとも思ったけど、それじゃやる気のない学生と思われるだけだし止めました。本当はその場で反論すればよかったのかもしれないけど、出来なかった。
代わりに、出席レポートには、上に書いたような事を書きなぐりました。謝ってほしい、とも書いた気がする。まぁオムニバス形式の授業だったので、その後同じ先生が授業をすることはなく、何も返ってくることもありませんでした。
…はー思い出す度しんどい。
忘れるって怖いって思います。
直近では熊本で地震が続いているし、日本は地震大国だからいつどこで地震が起こるか分かりません。
いざという時のために、備えは万全に。
全く被害がない、ということにはならなくても、最小限で食い止められるように。
なんか嫌な記憶の話が多くなっちゃったけど、言いたかったのはその上の事です。
震災を忘れない。
なにかを失った記憶を抱えて生きている人がいることを忘れない。
防災の日に、改めて思うのでした。